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1885 年、人類が温室効果ガスの排出量や気候変動を話題にするずっと前に、ウォーレン・ジョンソンは貴重なエネルギー資源を効率的に活用する新たな方法を研究する企業を立ち上げました。この思いはその後130年以上にわたり多くの従業員を啓発し、ジョンソンコントロールズの成功の原動力となってきました。
ジョンソンコントロールズの前身となる会社の設立以前より真の発明家として活躍していたウォーレン・ジョンソンは、空圧式の時計台、電子蓄電池、無線通信事業、高級蒸気自動車、郵便サービス用トラックなど、未来を予見し、形創る業績を残しました。
1883
ウォーレン・ジョンソンは、建物の温度を調節するデバイス「電気式テレサーモスコープ」の特許を取得。その量産のための資金を求めてウィスコンシン州ホワイトウォーターの自宅からミルウォーキーに向かいました。
1885
ウォーレン・ジョンソンはミルウォーキーの事業家兼資本家のウィリアム・プランキントンと提携し、ジョンソン・エレクトリック・サービス・カンパニーを設立。プランキントンが社長となり、ジョンソンは副社長兼経理としてのスタートでした。ミルウォーキー公立図書館や市庁舎に装置を施工したことによって、事業は急速に拡大しました。
1885–1910:
発明の精神
エジソン、ベル、ダイムラー、パストゥール、テスラ、エリクソンらが輩出され、何もかもが可能に見えた時代。この時期に人類初の技術として、電灯、内燃機関、X線写真、水力発電所が発明されました。
このような時代背景を受け、ウォーレン・ジョンソンは3年間の試行錯誤を経て室温を調節する装置を発明します。1883年には、電気式室内サーモスタットの名目で初めての特許を取得。この発明が新しい産業分野を開拓し、人々の暮らしのあり方を変えることとなります。ジョンソン・エレクトリック・サービス・カンパニーは急速に成長し、わずか2年で世界中のビル内の温度を一定に調節できるようになりました。
1895
ウォーレン・ジョンソンが、仲間たちと一緒に初の自動ゾーン温度制御システムを開発。その過程で蒸気弁、蒸気トラップ、減圧弁、ウォーターヒーター、油圧式空気圧縮装置、電気メーターなどの共同特許を取得しました。このシステムの発明は、1世紀後、アメリカ機械学会より「あらゆる制御システムの祖父」と呼ばれました。
1896
マクルーア誌に、ジョンソン・エレクトリック・サービス・カンパニーの風圧レギュレーターが「家庭内の調和と予算の節減」を約束するとの広告を掲載。
1901
ウィリアム・プランキントンが退任し、ウォーレン・ジョンソンが社長に就任。どこまでもイノベーションを追求するジョンソンの働きにより、「自動キャリッジ」式蒸気発生装置の特許、パワーステアリングの先駆けとなる特許が生まれました。続く11年間にジョンソン・エレクトリック・サービス・カンパニーは蒸気自動車、消防車、リムジン、救急車を1,000台も製造しました。
1902
世界中で製品を施工・納入・アメリカの連邦議会議事堂、ニューヨーク証券取引所、ワルシャワ工場、東京の親王邸など、世界各地で実績を重ねたジョンソン・エレクトリック・サービス・カンパニーは、社名をジョンソン・サービス・カンパニーと改め、現在ビル事業部が本社を置くミルウォーキー中心街に移転しました。
1907
ジョンソン・サービス・カンパニーが、高級な革製や木製の内装を備えた高級ガソリン事業者を次々と発売しました。
1908
シンガーソーイングマシン社がニューヨークに本社として、初の超高層ビルを建築。このビルにそろった「快適性、利便性、安全性で認可済の全最新式装置」のなかにはジョンソン・サービス・カンパニーの室内サーモスタット1,200基が含まれていました。ジョンソンコントロールズ社ヨークインターナショナルの前身組織では、「飲用冷水の連続供給」が可能な冷凍システムを達成していました。
1910-1935:
快適さの追求が新たな需要に
建築ブームにも波及。エレベーターの導入でビルの高層化が可能となり、複数ゾーンの温度制御で、快適な職場を提供できるようになります。
1911年、ウォーレン・ジョンソンが亡くなり、ハリー・エリスが社長に就任。エリスは車載製品事業と空圧式時計事業を売却しますが、ジョンソン同様、製造効率と顧客サービスを特に重視し、ジョンソン・サービス・カンパニーのビル管理システムは社内のエンジニアのみが施工することにこだわり続けました。
第一次世界大戦で民間の建設業には営業が出ましたが、世界大恐慌の間も、ジョンソン・サービス・カンパニーの革新的製品はコスト削減のための必須設備でした。
1911
後にジョンソンコントロールズ下で事業の一翼を担うグローブエレクトリックカンパニーが、路面電車や街灯向けの電子機器の製造を開始。少し後に自動車用バッテリーの製造も始めました。
1912
馬から車両への郵便手段の転換を記念したアメリカの15セントの郵便切手に、ジョンソン・サービス・カンパニー製の郵便配達トラックが登場。
1913
後にジョンソンコントロールズ傘下となるフーバースティールボールカンパニーが設立され、精密ベアリング、車載製品分野に参入。同社はこの数年後に事業を拡張し、自動車用シート製品も扱い始めました。
1914
第一次世界大戦下で民間建設部門が鈍化。ジョンソン・サービス・カンパニーは、アメリカ政府によって、高級品を製造しており軍事物資は供給できない企業に分類されました。古いビルの改装時に温度制御設備を設置する需要に牽引され、その後もジョンソン・サービス・カンパニーは好調が続きます。
1920
新世紀を迎え、戦争で疲弊した大衆が娯楽を追求。動画が隆盛を極め、ジョンソン・サービス・カンパニーは、映画館の快適性を高める製品、空調制御装置の提供でこの動きに関わりました。
1922
ジョンソン・サービス・カンパニー製の空圧システムは、最大35%の燃料を確実に節約しながら、温度や湿度を制御。
1925
ジョンソン・サービス・カンパニーが、ニューヨークの学校管理部門長(およびジョンソン・サービス・カンパニーのお客様)が開発したデュアルサーモスタットの特許を購入。この装置は、人が室外に去る際の気圧上昇を感知し、燃料消費を抑えることで自動的に室温を下げるため、世界大恐慌時代の一大ヒット商品となりました。
1929
株式市場の破たんを受け、多くの企業がコストを削減。ジョンソン・サービス・カンパニーは数年分の受注残に加え、無人スペースの燃料を自動的に削減できるデュアルサーモスタットの需要が台頭し、堅調を維持しました。
1934
不況が深刻化。ジョンソン・サービス・カンパニーは雇用削減、給与削減、販売事業所を販売員の自宅に移すといった対応を余儀なくされます。建築市場が低迷し、ジョンソン・サービス・カンパニーは、戸外の状況変化に応じて室温を調整し燃料を節約するデュオ・スタットを古いビルの改装時に設置する事業に注力しました。
1935-1960:
革新的技術に基づく成長
世界大恐慌が続く中、政府の雇用プログラムに従って、温度調整システムを必要とする民間、公共のビルの建設プロジェクトが発生。再び戦争が勃発したとき、アメリカ政府はジョンソン・サービス・カンパニーの製品を必需品として分類しました。
戦争が終結し、空調などの最新機能を備えたビルの新築需要が一気に台頭。ジョンソン・サービス・カンパニーは、複数の場所の温度を1ヵ所で制御できる空圧制御センターを開発し、この需要に応えました。部屋ごとの空調から『ゾーン制御システム』に重点がシフトしました。
1938
1912年にジョンソン・サービス・カンパニーのセールスエンジニアとしてキャリアを始めたジョセフ・カトラーが社長に就任。 この後22年間でカトラーは営業部門を再編。79もの支社、支店を追加し、1939年には300万ドルだった売上が1960年には6,730万ドルまで増大しました。
1940
ジョンソン・サービス・カンパニーが証券を店頭公開。
1941
国防軍需工場の作業効率を改善し、戦闘地域の燃料を節約できるとして、アメリカ政府がビルの制御装置を戦争努力の必需品に分類。 ジョンソン・サービス・カンパニーによって、アメリカ軍の訓練施設や国防軍需工場に室温や湿度の制御システムが設置されました。
1945
戦争が終結し、新築需要や熟練作業員の需要が増加。 ジョンソン・サービス・カンパニーが最初の公式技術研修プログラムをニューヨークで開始。 ジョンソンテクニカルインスティテュートでは、夜間クラスや通信教育を終えた従業員に対し、大学2年分に相当する内容の無料教育を施しました。
1949
新しい建築の時代を象徴するような新国連ビルが、ニューヨークに誕生。 この建物は全館空調が施されており、ジョンソン・サービス・カンパニーのサーモスタットと付属制御装置が3,600基必要でした。
1955
イーライリリー&カンパニーのインディアナ州インディアナポリス工場で、ジョナス・ソーク研究者が開発したポリオワクチンの大量生産に向けた動きが急ピッチで進行。 ジョンソン・サービス・カンパニーは、ウイルス培養室の温度を一定に調整する重要な装置を施工しました。
1956
ますます複雑な制御システムが使用されるようになり、ジョンソン・サービス・カンパニーの事業が急成長。 ビル全体の室温、水温、通気を1人が1ヵ所で監視できる空圧制御センターの需要が伸び、社内の従業員数、支社支店数、装置の設置台数が新記録を更新し続けます。
1960-1985:
企業規模の世界的拡大
ペンコントロールズ社と合併後、ジョンソン・サービス・カンパニーの売上が10億米ドルを超過。 社名をジョンソンコントロールズと改め、アメリカ最大の自動車用バッテリー製造業者であるグローブユニオン社を皮切りに、企業買収を通じて技術力を拡充します。 シート製品やプラスチック機械を扱うフーバーユニバーサル社、シート用品を製造するフェロマニュファクチャリング社が傘下に加わり、ジョンソンコントロールズは自動車のシートシステムを設計からエンジニアリング、組立、完成まで行えるようになりました。
1961
リチャード・マーフィーが社長に就任。マーフィーが社長を務めたのは6年間ですが、社員として過ごした年月は社内の誰よりも長く、何と63年間にも及びます。
1964
イングランド、フランス、オーストラリア、ベルギー、イタリア、スイスの子会社を通じ、既に国際市場で活躍していたジョンソン・サービス・カンパニーが、イタリアのロマーニャにヨーロッパ発の製造工場を建設。 全世界での売上総額が1億米ドルを超過。
1965
ニューヨーク証券取引所に上場したジョンソン・サービス・カンパニーは、雨雲の形成を防ぐ気候制御サービスをアメリカの 航空宇宙局(NASA)がフロリダ州ケープカナベラルに持つロケット等の組立棟に対して提供。 ジョンソンコントロールズ社ヨークインターナショナルの前身組織が10,500トン分の空調用冷凍機(チラー)を設置。
1967
フレッド・ブレンゲルが6代め社長に就任。 ブレンゲルの21年間の在任期間中に、当社はビル制御製品のコンピューター化、企業買収による自動車用バッテリー事業、シート製品事業への参入を果たし、売上が1億4,000万米ドルから31億米ドルに成長しました。
1968
冷蔵、ガス暖房制御装置を製造するペンコントロールズを合併したジョンソン・サービス・カンパニーをフォーチュン誌が上位500社の1つに選定。 スーパーマーケット用冷蔵制御装置、農業分野の乾燥装置用湿度制御装置、クリーニング業者向け制御装置などの製品シリーズが追加されました。
1972
ジョンソン・サービス・カンパニーが、ビルシステム管理用初のミニコン「JC/80」を発売。 燃料消費が30%削減されたため、石油価格が高騰するにつれ、ビルの自動化に踏み切るオーナーが増加。 商業施設向けにコンピューター内蔵の火災対応システムやセキュリティシステムも製品に加わりました。
1978
ジョンソンコントロールズが、グローブユニオン社の買収で、アメリカの自動車用バッテリー製造のリーダーとなります。 1911年にグローブエレクトリックという名前で創業したグローブユニオン社は、薄い筐体壁で高強度を達成し、バッテリー設計の突破口を開いたと広く認められているポリプロピレン製バッテリーケースを発明した企業です。
1985
フーバーユニバーサル社(自動車用シート事業、プラスチック機械事業の基盤)、自動車用シート製品メーカーのフェロマニュファクチャリング社の買収で、ジョンソンコントロールズはさらに多様化。 これらの企業買収により、ジョンソンコントロールズは自動車用シートシステムを設計からエンジニアリング、組立、完成まで行えるようになりました。
1985-2012:
世界的なリーダーシップ
パソコン、携帯電話、インターネットが世界を変え、ビジネス界ではお客様重視、世界的事業展開、アウトソーシングが一般化。 ジョンソンコントロールズは、環境政策、多様性、コミュニティサポートを中核とする社是を忠実に守り続け、非凡な成長を遂げます。
21世紀に入り、ジョンソンコントロールズの事業活動、顧客基盤が世界中で拡大します。 13万人の従業員が、2億台を超える車両、1,200万戸の家庭、100万棟の企業ビルに製品とサービスを提供し、未来への道を示すリーダーとして活躍します。
1987
ジョンソンコントロールズがインディアナ、イリノイ、オンタリオの自動車工場に最初のジャストインタイム方式を導入。受注から数時間で順次シートを工場に納入できるようになりました。 バッテリー装置の顧客にホンダ、マツダ、トヨタが加わり、フォードからアフターマーケット部品メーカーとしては初めて「Q1 Preferred Quality Award」(フォードQ1賞)を贈られます。
1988
ジム・キーズが社長に就任。 キーズの14年間の在任期間中に、ジョンソンコントロールズは車載製品の大手サプライヤーとなります。重要顧客シアーズを失い、バッテリー部門は再建、制御部門はアナログからデジタルに移行し、売上総額が6倍に増加しました。
1989
ジョンソンコントロールズが、パンナムワールドサービス社を買収、グローバルワークプレイスソリューションズと改名し、施設管理事業に参入。また、年次フォーラムの開催を開始しました。講演者として ジョージ・W・ブッシュ大統領、ビル・クリントン大統領、アル・ゴア副大統領を招聘し、エネルギー問題や気候変動を論題に据えました。
1990
画期的なビル管理(自動制御)システムMetasys®で、ビルの環境管理、エネルギー管理、照明、火災対策、セキュリティシステムをリンク。 ジョンソンコントロールズがドイツのコンポーネントメーカーの株式購入を通じてヨーロッパの車載製品市場に参入しました(E.A.H. Naue GmbH & Co. KG)。
1992
ジョンソンコントロールズが売上52億米ドルを達成。
1994
大口顧客シアーズが取引を停止。ジョンソンコントロールズのリーダーたちは、パフォーマンス向上とコスト削減を全社で強力に推進するため、重要な評価尺度を明らかにする模範的ビジネス事例を導入。 取引停止から2年後にシアーズとの取引は再開されますが、それ以前にビジネス損失分の充当が完了します。
1996
ジョンソンコントロールズは800万台を超える新車のシートを製造。インダストリーウィーク誌で「100 Best Managed Companies in The World」(優良企業ベスト100)に選ばれます。プリンス自動車を買収し、自動車の内装システム事業が長足の発展を遂げ、売上はほぼ100億米ドルとなりました。
1997
フーバーユニバーサル社の買収でプラスチック業界に参入したジョンソンコントロールズは、ソフトドリンク用ペットボトルの供給、リサイクルでアメリカ最大級の企業となり、プラスチック製造、リサイクルで世界トップクラスの技術を保有していましたが、基幹製品に注力するため、コンテナ、プラスチック機器部門を売却。 北京ジープ向けのシート製造で中国の新規市場を開拓しました。
1998
ジョンソンコントロールズが南アメリカの自動車用シート供給業者のランキングで第1位に。ビル自動管理システムMetasys®の設置台数が1万を記録。ヨーロッパの自動車用内装品メーカーのベッカーグループ、カードキー社の統合セキュリティソリューションを買収しました。
1999
アメリカの 環境保護局のエネルギースタービルディングプログラムでジョンソンコントロールズが「Ally of the Year」(年間最優秀協賛企業)を取得。 また、ゼネラルモーターズの「Supplier of the Year」(年間最優秀サプライヤー)賞、「Mandela International Award for Good Diversity Practices」(マンデラ国際最優秀多様性実践企業)賞を取得しました。
2000
ジョンソンコントロールズが日本の自動車用シートメーカーの池田物産を買収し、車載ビデオシステム「オートビジョン」を発売。 ジョンソンコントロールズがミルウォーキーに持つブレンゲル・テクノロジー・センターが、ビルでは世界最初期のLeadership in Energy and Environmental Design®(LEED)として認定されました。
2001
テロリストに乗っ取られたジェット機が 9月11日、アメリカの国防総省ビルに激突。64名の乗客と大火に巻き込まれた125名が犠牲となります。 国防総省の施設管理者が、2ヵ月前に設置されたジョンソンコントロールズのビル運営管理センターを利用してダンパーを閉鎖し、火災と煙を封じ込めることができたおかげで死傷者数を抑えられた可能性があると発言しました。
2002
ジョンソンコントロールズが、ドイツに拠点を置くVARTA自動車用バッテリー部門を買収。 売上が200億米ドルを超えました。 ジョン・バースがジョンソンコントロールズの第8代CEOに就任。
2003
ジョンソンコントロールズがドイツのボルグインスツルメント社を買収。10億米ドルを超える物品、サービスを多様な供給業者から購入している点が評価され、ビリオンダラーラウンドテーブルに指名されました。
2004
アメリカの アドバンストバッテリーコンソーシアムが、ジョンソンコントロールに対しリチウムイオン式ハイブリッド車用バッテリーの開発を打診。 配当金の30年間連続上昇記録を達成。 ジョンソンコントロールズが、持続可能な開発により世界環境センターから金メダルを授与され、ブレンゲル・テクノロジー・センターがLEED®からゴールド認定を受けます。
2005
ジョンソンコントロールズ社歴上、最大規模の買収を決行。 ヨークインターナショナル社からHVAC(冷暖房空調)分野の製品とサービス、世界中に浸透した拠点、利権、影響力のすべてを買い取りました。 また、デルファイ社から世界中の車載用バッテリー事業を買収。ダウジョーンズのサスティナビリティワールドインデックス(DJSI World)の構成銘柄に選ばれました。
2006
売上が300億米ドルを超過。この年、ジョンソンコントロールズは、 ミルウォーキーのビルディングシステムズ本社でエネルギーに関する講演会を開き、主賓講演者としてジョージ・W・ブッシュ米大統領を招待しました。
2007
「オープングローブ」ロゴを導入、スティーブ・ロールがジョンソンコントロールズの第9代CEOに就任。 ジョンソンコントロールズが、クリントン気候イニシアチブの省エネビル改修プログラムを共同設置。 中国の風帆社と密封型鉛酸バッテリーを製造するジョイントベンチャーを設立、後発諸国が台頭する中で優位性を示しました。
2008
世界的不況で自動車メーカーが大打撃を受ける中、ジョンソンコントロールズは、模範的ビジネス事例と未来予測により、常に優位性を維持。 女性やマイノリティを事業主とするサプライヤーから16億5,000万米ドル分を購入し、ウォルマート社から「オートモーティブサプライヤーオブザイヤー」(年間最優秀自動車製品メーカー)賞を受けます。 アメリカ機械工学会が1895年の温度制御システムを「機械工学のランドマーク」と評価しました。
2009
ジョンソンコントロールズが中心となり、エンパイアステートビルのエネルギー使用量を最大38%削減。 ウォルマートが、自動車、船舶、パワースポーツ、芝生や庭園の管理に使用するバッテリーの発注をジョンソンコントロールズに一本化。 re3(reで始まる再考、再生、対応の3つ)コンセプトで用意された自動車、5人乗りのプラグインハイブリッド車がアメリカの自動車ショーに初めて登場しました。
2010
ジョンソンコントロールズが125周年を迎え、ウィスコンシン州グレンデールの拠点がLEED®プラチナ認定を取得。 ビルディングシステムズ(Building Efficiency)がサウジアラビアのメッカにあるマスジドハラーム(聖なるモスク)の工事を請け、社歴上最大の受注を記録。ミシガン州ホランドのバッテリー工場がアメリカで初めてハイブリッド車、電気自動車用の一体型リチウムイオンバッテリーの製造を開始しました。
2011
コーポレート・レスポンシビリティ誌がアメリカ国内の「企業市民ベスト100社」のランキングを発表し、ジョンソンコントロールズが第1位に選ばれました。 世界中の総収入が400億ドルを超過。 ドイツ企業の買収(ツェーロブ ハマーシュタイン、カイパー/レカロ)でオートモーティブシステムズが、充実した金属部品、装置のメニューを提供できるようになりました。
2012
パワーソリューションズが、最先端の環境管理設備を備えた米国初のバッテリーリサイクル施設をサウスカロライナ州フローレンスに開設。 ミルウォーキーでのスティーブンA.ロールイノベーションセンターの開設は、新しいアイデアを育成し、お客様に新しい価値を提供する取り組みを強く表しています。